国民読書年記念 シンポジウム「デジタル時代の教育を考える」(9月3日)
(本稿は2010年12月19日に書いたものですが、あとで検索するとき便利なように、作成日をバックデートしています。あしからずご了承ください)
みなさま!!
長期間更新をさぼり、誠に申し訳ございませんでした。
Android携帯買ってから、Twitterばかりやってました。
携帯とかモバイルとか、デジタル機器って、確かに楽しい。
だけど、「ずーっと、なんとなく、そればっかりやっちゃう」という危険があること、痛感しました。
そりゃ個人の問題だろ? 単に意志が弱いだけやろ?
まあ、そりゃそれもある。
でもね。
最近の脳研究によると、必ずしもそういう精神的な問題ではないんです。
原因は分かってないようですが、ディスプレイを長時間見続けて単調な作業(たとえばゲーム)をやっていると、脳波がおかしくなるのだそうです(「ゲーム脳の恐怖」森昭雄NHK出版2002)。
こりゃ早い話が、頭が狂うということですよ。
そういう中、わが国では、教育現場にもっとデジタル機器入れちゃえ(そしたら関連産業も儲かるし!)、てな話に勢いづいています。
子供たちへの悪影響については、スルーで。
このシンポジウムは、そういう安易な動きに警鐘を鳴らすものでした。
■シンポジウム「デジタル時代の教育を考える」
・日時: 2010年9月3日
・場所: 日本プレスセンタービル
・参加者数: 320名
・主催: 文字・活字文化推進機構、読売新聞社
■基調講演 「祖国とは国語」 藤原正彦(数学者、お茶の水女子大学名誉教授)
●過去の教育改革(「ゆとり教育」)はすべて失敗である
・実証的裏づけ全くなしに、邁進した。
・それは子供を使った「人体実験」だった、といって過言ではない。
・成果が出ないのは当然である。
・これが起きた背景には、次の事情がある。
・第一に、関係者の幻想。
・つめこみ VS ゆとり という単純な構造で問題をとらえ、
・「ゆとり」という言葉の響きに関係者が「うっとり」してしまった。
・第二に、効率重視の風潮。
・教育の世界にまで、てっとり早く、効率的に、という圧力が高まった。
・その結果、教えることも、簡単なもの・皮相的なことだけでよいということに。
・効率重視が人の交流を阻害するのは当然。
・ところがその問題は無視された。
・第三に、子供中心主義。
・国際化、自主性、個性、多様化と美辞麗句が並び、
・要は子供は勝手に自分で成長するもの、という考え方が台頭した。
・その結果「教える」ということ自体が、押し付けとされた。
・これを中曽根内閣時の臨教審が答申。政府方針に。
・それで先生は急速にヘルパー化し、子供にあもねる授業が展開されることに。
・この背後には、アメリカ流「Politically Correct」(弱者=正義) の思想がある。
・日本が「ゆとり教育」に邁進している間、他の国はどうしていたか
・他国は、日本の教育制度が日本の経済発展(復活)を支えていると分析。
・日本の教育制度(「つめこみ型」教育)を見習おうとしていた。
・たとえばアメリカ。
・レーガン政権(日本では中曽根時代)で、教育改革プラン作成に着手。
・関係者が日本の教育現場を視察。
・有名な論文「Nation at Risk(危機に立つ祖国)」にもその内容が収められている。
・イギリスも同じ。サッチャー政権もレーガン政権同様の教育改革を進めた。
●デジタル教科書を安易に導入すべきではない
・説明用教材(プレゼン用)にデジタル機器を活用するのは、どんどんやればよい。
・しかし生徒の教科書をPCのようなものに置き換えるのは、絶対反対である。
・子供に悪影響を与える可能性が高いからである。
・アメリカではSelf Destructive Students(自己破壊的行動をする学生)と情報機器の関係が取り沙汰されている。
・大学の授業でPCを持ち込むようになって、授業を聞いていない生徒がふえたという話もある。
・脳にどういう影響があるか、分からない。
・アメリカ(のような軽率な国)でさえ、デジタル教科書の導入には極めて慎重である。
・現在導入しているのは、全米で5%程度にすぎない。
・それをいきなり全国一斉にやろう、などとは狂気の沙汰。
・またしても「人体実験」を繰り返すつもりか。
・今度は取り返しがつかない。子供たちの脳が破壊されてからでは遅い。
・こういう政策が登場した背後には、財界からの強い圧力を感じる。
・過去、財界が教育に口を出して、ろくなことはなかった。
・たとえば90年代半ば、財界(経団連など)からの強い要望で、英語や金銭教育が強化された。
・IT産業成長の切り札とかなんとかいって。
・その分、国語や数学はないがしろに。
・結果はどうか。学力低下、競争力低下、そして利己主義、精神の荒廃である。
・目先の損得とか今役に立つこと、という観点で教育内容を左右してはならない。国が滅ぶ。
・教育では、よいものを与え続けることが大事。わかるものだけ与えるという発想はだめ。
・優れたダイアモンド鑑定士を育てるには、ひたすらホンモノに触れさせる、偽者を見せたりはしない。
・それこそ教育である。
■ パネル討論
パネリスト
新井紀子(国立情報学研究所教授)
黒川弘一(光村図書出版企画開発本部長)
鈴木寛(文部科学副大臣)
中川一史(放送大学教授)
村上輝康(野村総合研究所シニアフェロー)
コーディネーター
丸山伸一(読売新聞論説委員)
●デジタル教科書について
・民主党政権(原口総務相)が2015年までに、全国に配布!とぶち上げた。
・デジタル教科書には、教師が説明用に使うもの、と、生徒が自分で使うものの二つがあるが、
・しばしば、このふたつがまぜこぜで議論されている。それ自体も問題。
・推進派は、説明用教科書の優位性を強調して、個人用の問題点を隠す傾向がある
●反対派の意見
・理数系学会では反対している(新井紀子先生)
・理由はたくさんあるが、主なものは次の通り。
・手を動かす時間が減ってしまう。
→手を動かすのはあらゆる学習の基本。その時間が減ると、学習効果が低下する懸念あり。
・簡単にできるという誤解が生まれる。
→自分で実験するのと、画面で人のやった実験を見るのは全然違う。
→自分でやれば失敗もするが、そこから学ぶことも多い。
・コンピュータの性能に合わせた教材になってしまう
・プレゼン偏重、授業の劇場化
・学習履歴などのプライバシー情報が流出しやすい
(悪用の危険性)
・教師の退化
・コンテンツ入手スキルのみが発達
→学びの基本スキルが身に付かない
●これからの教育に求められるもの
・コンピュータが発達した現代、情報量ではコンピュータが人間の脳を上回るようになった
・しかしコンピュータにできるのは計算だけ
・コンピュータを進化させるために必要な数学やアルゴリズムは人間にしか考えられない
・それができるようにするのが大事。学習胆力とでもいうべき能力を養成すること。
みなさま!!
長期間更新をさぼり、誠に申し訳ございませんでした。
Android携帯買ってから、Twitterばかりやってました。
携帯とかモバイルとか、デジタル機器って、確かに楽しい。
だけど、「ずーっと、なんとなく、そればっかりやっちゃう」という危険があること、痛感しました。
そりゃ個人の問題だろ? 単に意志が弱いだけやろ?
まあ、そりゃそれもある。
でもね。
最近の脳研究によると、必ずしもそういう精神的な問題ではないんです。
原因は分かってないようですが、ディスプレイを長時間見続けて単調な作業(たとえばゲーム)をやっていると、脳波がおかしくなるのだそうです(「ゲーム脳の恐怖」森昭雄NHK出版2002)。
こりゃ早い話が、頭が狂うということですよ。
そういう中、わが国では、教育現場にもっとデジタル機器入れちゃえ(そしたら関連産業も儲かるし!)、てな話に勢いづいています。
子供たちへの悪影響については、スルーで。
このシンポジウムは、そういう安易な動きに警鐘を鳴らすものでした。
■シンポジウム「デジタル時代の教育を考える」
・日時: 2010年9月3日
・場所: 日本プレスセンタービル
・参加者数: 320名
・主催: 文字・活字文化推進機構、読売新聞社
■基調講演 「祖国とは国語」 藤原正彦(数学者、お茶の水女子大学名誉教授)
●過去の教育改革(「ゆとり教育」)はすべて失敗である
・実証的裏づけ全くなしに、邁進した。
・それは子供を使った「人体実験」だった、といって過言ではない。
・成果が出ないのは当然である。
・これが起きた背景には、次の事情がある。
・第一に、関係者の幻想。
・つめこみ VS ゆとり という単純な構造で問題をとらえ、
・「ゆとり」という言葉の響きに関係者が「うっとり」してしまった。
・第二に、効率重視の風潮。
・教育の世界にまで、てっとり早く、効率的に、という圧力が高まった。
・その結果、教えることも、簡単なもの・皮相的なことだけでよいということに。
・効率重視が人の交流を阻害するのは当然。
・ところがその問題は無視された。
・第三に、子供中心主義。
・国際化、自主性、個性、多様化と美辞麗句が並び、
・要は子供は勝手に自分で成長するもの、という考え方が台頭した。
・その結果「教える」ということ自体が、押し付けとされた。
・これを中曽根内閣時の臨教審が答申。政府方針に。
・それで先生は急速にヘルパー化し、子供にあもねる授業が展開されることに。
・この背後には、アメリカ流「Politically Correct」(弱者=正義) の思想がある。
・日本が「ゆとり教育」に邁進している間、他の国はどうしていたか
・他国は、日本の教育制度が日本の経済発展(復活)を支えていると分析。
・日本の教育制度(「つめこみ型」教育)を見習おうとしていた。
・たとえばアメリカ。
・レーガン政権(日本では中曽根時代)で、教育改革プラン作成に着手。
・関係者が日本の教育現場を視察。
・有名な論文「Nation at Risk(危機に立つ祖国)」にもその内容が収められている。
・イギリスも同じ。サッチャー政権もレーガン政権同様の教育改革を進めた。
●デジタル教科書を安易に導入すべきではない
・説明用教材(プレゼン用)にデジタル機器を活用するのは、どんどんやればよい。
・しかし生徒の教科書をPCのようなものに置き換えるのは、絶対反対である。
・子供に悪影響を与える可能性が高いからである。
・アメリカではSelf Destructive Students(自己破壊的行動をする学生)と情報機器の関係が取り沙汰されている。
・大学の授業でPCを持ち込むようになって、授業を聞いていない生徒がふえたという話もある。
・脳にどういう影響があるか、分からない。
・アメリカ(のような軽率な国)でさえ、デジタル教科書の導入には極めて慎重である。
・現在導入しているのは、全米で5%程度にすぎない。
・それをいきなり全国一斉にやろう、などとは狂気の沙汰。
・またしても「人体実験」を繰り返すつもりか。
・今度は取り返しがつかない。子供たちの脳が破壊されてからでは遅い。
・こういう政策が登場した背後には、財界からの強い圧力を感じる。
・過去、財界が教育に口を出して、ろくなことはなかった。
・たとえば90年代半ば、財界(経団連など)からの強い要望で、英語や金銭教育が強化された。
・IT産業成長の切り札とかなんとかいって。
・その分、国語や数学はないがしろに。
・結果はどうか。学力低下、競争力低下、そして利己主義、精神の荒廃である。
・目先の損得とか今役に立つこと、という観点で教育内容を左右してはならない。国が滅ぶ。
・教育では、よいものを与え続けることが大事。わかるものだけ与えるという発想はだめ。
・優れたダイアモンド鑑定士を育てるには、ひたすらホンモノに触れさせる、偽者を見せたりはしない。
・それこそ教育である。
■ パネル討論
パネリスト
新井紀子(国立情報学研究所教授)
黒川弘一(光村図書出版企画開発本部長)
鈴木寛(文部科学副大臣)
中川一史(放送大学教授)
村上輝康(野村総合研究所シニアフェロー)
コーディネーター
丸山伸一(読売新聞論説委員)
●デジタル教科書について
・民主党政権(原口総務相)が2015年までに、全国に配布!とぶち上げた。
・デジタル教科書には、教師が説明用に使うもの、と、生徒が自分で使うものの二つがあるが、
・しばしば、このふたつがまぜこぜで議論されている。それ自体も問題。
・推進派は、説明用教科書の優位性を強調して、個人用の問題点を隠す傾向がある
●反対派の意見
・理数系学会では反対している(新井紀子先生)
・理由はたくさんあるが、主なものは次の通り。
・手を動かす時間が減ってしまう。
→手を動かすのはあらゆる学習の基本。その時間が減ると、学習効果が低下する懸念あり。
・簡単にできるという誤解が生まれる。
→自分で実験するのと、画面で人のやった実験を見るのは全然違う。
→自分でやれば失敗もするが、そこから学ぶことも多い。
・コンピュータの性能に合わせた教材になってしまう
・プレゼン偏重、授業の劇場化
・学習履歴などのプライバシー情報が流出しやすい
(悪用の危険性)
・教師の退化
・コンテンツ入手スキルのみが発達
→学びの基本スキルが身に付かない
●これからの教育に求められるもの
・コンピュータが発達した現代、情報量ではコンピュータが人間の脳を上回るようになった
・しかしコンピュータにできるのは計算だけ
・コンピュータを進化させるために必要な数学やアルゴリズムは人間にしか考えられない
・それができるようにするのが大事。学習胆力とでもいうべき能力を養成すること。
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