マラソン有森裕子氏 講演 in アシストフォーラム2012 「夢はかなう ~あきらめない心を持って~」
日時:2012年7月4日 1700~1800
於:アシストフォーラム2012 京王プラザホテル
有森さんの講演を聞いてきました。
正直あまり期待してなかったのですが、すばらしい講演でした。
■やってみることで道は開ける
好きなことをやればよい。得意なことをやればよい。
人はよくそういうが、世の中には好きなことも得意なこともない人がたくさんいる。
自分もその一人だった。
それが、何人かの恩師との出会いを通じて、とにかく「やってみた」。
気がついたら成功をつかんでいた。
■両足股関節脱臼で生まれる
生まれて実家に戻ったあと、おむつ交換のときに、あまりにも泣く。
それで母が心配し病院に。診断は両足股関節脱臼。
それから長らく、サポーターのようなものを付けられて育てられた。
小学校に入っても、激しい運動は禁止。
体育は見学している状態だった。
いまだに股関節に柔軟性がなく、前屈は苦手。
■いいことないのか
小学生時代、運動ができないので、なにごとにも自信がない。
それで「競争」を避けることばかり考えていた。
クラブも競争と無縁の「手芸クラブ」。
とにかくネガティブ思考。
ネガティブ発言ばかりを繰り返していた。
そんな中、話しかけてくれる先生がいた。
陸上部顧問のアンドウ先生。
何か「お前にも、いいことあるだろう」「なにか、いいことないのか」
「いいこと見つからんか?」
欠点ではなく、長所を見つけろというメッセージ。
それを繰り返し聞くうちに、自分にもできることがある、
自分にもいいことがある、という自己肯定の気持ちが少しずつ芽生えてきた。
アンドウ先生の傍にいたい。
そういう思いから陸上部に入部。
ぜんぜん速くも上手くもなかったが、とにかく練習していた。
■人のいやがるものに挑戦しよう
才能や能力がある人は、どんどん選ばれて、活躍の場が与えられる。
しかしそうでない人は、一所懸命に手を挙げても選ばれない。
「頑張れ!」といわれても、頑張る機会がない。
中学に入っていた私も「頑張る機会なんてない」と思っていた。
そこに、運動会の選手決めの話があった。
徒競走やリレーなど人気種目には、みんながどんどん手をあげる。
足の速い子たちが、選ばれていく。当然自分は選ばれない。
ところが800メートル走の番になったとき、だれも手をあげない。
ここだ!と思った。
だれもやりたがらないから、自分が選ばれた。
本当にうれしかった。ついに頑張れると思った。
結果は優勝。
結局、中学3年間、毎年運動会の800メートル走に出た。
そして3年連続、優勝。
この3枚の賞状が、マラソン有森裕子の原点になった。
(岡山県の『アニモミュージアム』(有森裕子・記念館に展示中とのこと)
■辛抱せえ、ねばれ、あきらめんな
高校は進学校を目指したが受験で失敗。私立に入った。
そこでも陸上をやろうとしたが、その陸上部は全国的成績を上げる名門。
入部を願い出たが、中学時代なんの実績もない自分は、
「お前みたいな素人はいらん」と顧問に入部を拒否された。
それから、顧問の先生をストーキング。
1日4箇所で待ち伏せした。
1ヵ月後、根負けした顧問にようやく入部を許される。
ただし「ダメだと思ったらすぐに辞めさす」と条件がついた。
しかしそんな条件はどうでもよかった。
とにかくうれしかった。
それからひたすら練習した。
股関節脱臼症の影響で、ひどいO脚だったので、整形外科にも通った。
高校時代はそのふたつで明け暮れた。
競技人生を始めたものの、結果はまったく出なかった。
自分の前には人がいる、自分の後にはだれもいない、という状況ばかりだった。
それでも、顧問の先生から「辞めろ」とは、一度もいわれなかった。
その代わり、こういわれた。
「ええか有森、辛抱せえ、ねばれ、あきらめんな」
「強い選手にへばりつけ。相手が根負けするまで食らいつけ」
「相手がへばったところで、前に出ろ」
このことばを励みにひたすら走り続けた。
■猫背はナチュラルな前傾姿勢
リクルートに入って、小出監督と出会った。
監督も、いいところを伸ばすことを徹底されていた。
短い時間の中で実績を出す、ということを考えた場合、
いかにモチベーションを高くするかが大事。
欠点を指摘されても、選手のモチベーションは上がらない。
小出監督は、どんな欠点でも長所だといってくれた。
私は股関節脱臼で生まれたせいで、姿勢も悪かった。
それに対して監督は、こういってくれた。
「ランナーは速く走るために前傾姿勢を維持せないかん。
その点、お前は得だ。ナチュラルに前傾姿勢になっとる」
冗談かと思ったが、それでもやはりうれしかった。
監督のそういう指導法が、リクルート全盛期の実績につながったのだと思う。
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