比喩表現


水曜から一泊二日で大阪に出張しました。

面白い標語を発見。
「火の始末 知りまへんでは あきまへん」
(ブログに写真を掲載)

さすが大阪。言葉の王国!

標語は多くの人に「交通安全」や「火の用心」のような警句を印象深く伝えるため、たとえ話を簡潔に言い表したものです。
「交通安全 注意一秒 けが一生」
「火の用心 マッチ一本 火事の元」

抽象的な概念を伝えるために、たとえ話をする。
標語でなくても、よく使う手です。

以前、こういう説明をしました。
「レガシープロトコルをTCP/IPでカプセリングして伝送するのです」
相手は見るからに? どんよりした表情。
こう言い換えました。
「チーズかまぼこですよ。チーズがレガシーで、かまぼこがTCP/IP」
ああ、なるほど!と。相手の顔が明るくなりました。

たとえ話は非IT系の人には非常に評判がよい。
一方、身内(IT関係者)の受けは案外悪い。
なぜか。
主なご批判は二つです。
まずは、くだらん笑い話みたいで品格に欠けるというもの。
そんなに分かりやすく説明しちゃったら、他所の人からITなんて簡単と思われて、IT系の権威が失墜するということですね。
自分の属するコミュニティーの権威を守りたい。本能的な欲求です。
だから、こういうご批判は無碍にもできず、それなりに折り合いをつける必要があります。

次のご批判は、たとえ話では概念の一面しか表現できない。誤解を招く恐れがある。
概念の意味を正確に伝えるには、もっと広く深い説明が必要だ、ということですね。

確かにごもっとも。

交通安全という抽象概念を、「よそ見運転の結果」を表現したにすぎない「注意一秒 けが一生」だけで「伝えきった」と考えるのは傲慢です。
歩行者は何もしなくてよい、と曲解する人もきっといる。
たとえ話を使うときは、誤解や曲解の危険性について十分注意する必要があります。

それでもなお、私は「たとえ話」はフルに使ってよし、と考えています。
なぜか。
「たとえ話」を聞かせる相手は、そもそも、対象概念についての理解あるいは注意がほぼゼロの人たちです。
そんな相手に、いきなり全部説明しても混乱するだけ。
何も頭に残らず、代わりに「訳の分からん話をされた。やっぱりITは面倒くさい」という印象を残すだけになる可能性が高い。
それなら、たとえアホらしいと言われても、相手の記憶に残る言葉を伝えた方がよい。

お互いが分かる言葉を得る。
それが、相互理解の第一歩になります。
「チーズかまぼこ」で理解が進むなら、「これでいいのだ」。
言葉を共有できれば、やがてコンテキスト(文脈)も共有できる。
網羅性の補完は、それから段階的に進めればよい。

いかがでしょうか?

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