商業的

「自称」という言葉、最近良く見る。気になる。

例の自称プロサーファー氏がどういう人物なのか。そんなことに興味があるわけではない。
気になるのは、マスコミがどういう基準で「自称」という言葉を使っているのかである。

手元の記者ハンドブック(時事通信社)を見ると、疑わしい場合に使う、とある。
例として「自称東大生」とか「東大卒と称する男」とかと出ている。

しかし、この説明ではよく分からない。そもそも疑わしいって何を基準に決めるのか。

たとえば年に2回しかコンサートを開かないミュージシャンとか、年に1回しか仕事のない俳優とかはどうなるのだろうか。やっぱり自称とつけられてしまうのか。

研究家とか学者とかの場合はどうだろう。
国際政治学者とか軍事アナリストとかと名乗る人がよくテレビに出ている。あれも素人目には十分疑わしいのだが、決して「自称」とは書かれていない。

そういえば「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」のロバート・フルガムは、自己紹介のとき「哲学者」と名乗るそうだが、日本のマスコミ基準では自称哲学者といわれてしまうのだろうか。
そもそも自称以外の哲学者はあり得ない気もするが。

その一方、妙にディテイルな称号をつけていることもある。
たとえば「専門学校生」。
なんでわざわざ「専門学校」をつけるのか。「学生」でよいではないか。

こうして見てみると、マスコミが提供してくれる人物属性には情報としての一貫性がない。

どうしてなのか。
つらつら考えるに、結局、面白いかどうかで情報を選別している、ということではなかろうか。
マスコミも商売であるから当然といえば当然ではある。

冒頭の自称プロサーファーの場合、実は資産家の息子のようである。
スポーツ店の切り盛りもしていたようだ。素直に書くなら、スポーツ点経営者、ぐらいであろう。
しかしそれでは面白くない。目立たない。
自称プロサーファーの方が、視聴率も上がるし、新聞も売れるのは明らかである。

たまたまこの人の場合、実際に胡散臭いようだからよいけれど、そうでなかったらどうなるのか。
自称なんとか、なんて紹介されたら、あとで実は無実でしたと分かってもたいへんなイメージダウンを蒙るであろう。ことによれば社会的立場が危うくなる。

実際に酷い目あった人もいた。たとえば松本サリン事件の被害者である。
そういう事があったのに、マスコミはまったく反省していないようである。
恐らくこの先も反省することはないのだろう。
だって商売だし。

マスコミが提供してくれる情報は正しいとは限らない。
いつの世も、洋の東西を問わず同じである。

そのことは肝に銘じておく必要がある。

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