ものぐさ太郎
試験前にマンガを読みたくなるとか、やらなければならない用事があるのについつい先送りしてしまうとかということがよくある。
何を隠そう今もその状態である。
これ、なんとかならむものだろうか。
とりあえず「やる気がでない」で検索する。たくさん出てきた。
しかし書かれていることは、似たり寄ったり。
目標を立てろとか、自信を持てとか、ゆっくり休養せよとか。
話は分かるが、経験上、そういうのは役に立たない。
今度はうつ病で検索。これもすごい量である。
薬がどうとか、障害者認定がどうとか。
これも違う。
引きこもりになっているわけじゃないし、いちおう仕事もしている。
軽症うつ、なんていわれると、なんとなくそれかなと思ってしまうけれど、やっぱり試験前にマンガ読みたくなるなんていうのが病気とは思えない。
いつも思うことであるが、本当に欲しい情報がネットにあった試しはない。
改めて自力で考察。
するとベストセラー作家のような勤勉で優秀そうな人でも、締め切り前日に徹夜マージャンしちゃったみたいなことをよく書いているのを思い出した。
周りの人たちからも似たような話はよく聞くし、観もする。
つまり、これは怠け者特有の症状ではないということである。
発生頻度に個人差あるかも、というところに一抹の不安は感じるものの、思い切って言ってしまえばみんな同じということであろう。
安心したような、絶望したような気持ちになる。
しかしそもそも、どうしてやる気がでないと気分が悪いのだろうか。
誰かに叱られる? お金を損する? 他人に置いていかれる気がする? 自信がなくなる? その他、何か実害があるからか?
う~ん、つきつめて考えるとよく分からない。
少なくとも上記したような話は根拠が曖昧である。
だって、思い切り実害がありそうなときは、ちゃんと体が動くからである。
つまり、やる気が出ないからといって、気分を悪くしなければならない必然的理由は無いのである。結論すると、気分が悪くなるのは、単なる思い込みもしくは社会的洗脳によるものということである。
勤勉をよしとする立場からは、これは暴論かもしれない。
しかしよく考えてみると、勤勉が文明を発達させたという話はうそ臭いのである。
むしろ歴史に残るような発明とか発見とかは、現実逃避とか、いかにして楽するかというような怠け心を原動力にしたものが多いのは周知の事実である。
進化論も生存するものが勤勉とは限らないといっている。
生き残るのは力強いものでも、体が大きいものでもなく、変化に対応できたものである。
変化に即応するには、何もしていないのが一番であろう。
つまり、やる気がでないことを思い悩むなんてのは、まったく的外れ。
「やる気がでなくてどこが悪い! やる気でないの大歓迎」といってよいのである。
昔の日本には、「やる気がでない・やるべきことをやらない人間」が主人公の話があった。
ものぐさ太郎である。
怠け心を受容する余裕を持つことがいかに大事であるか、昔の人はよく分かっていたのであろう。
現代人より、よっぽど思考が深かったのである。
と、自己正当化しつつ、また怠ける。
何を隠そう今もその状態である。
これ、なんとかならむものだろうか。
とりあえず「やる気がでない」で検索する。たくさん出てきた。
しかし書かれていることは、似たり寄ったり。
目標を立てろとか、自信を持てとか、ゆっくり休養せよとか。
話は分かるが、経験上、そういうのは役に立たない。
今度はうつ病で検索。これもすごい量である。
薬がどうとか、障害者認定がどうとか。
これも違う。
引きこもりになっているわけじゃないし、いちおう仕事もしている。
軽症うつ、なんていわれると、なんとなくそれかなと思ってしまうけれど、やっぱり試験前にマンガ読みたくなるなんていうのが病気とは思えない。
いつも思うことであるが、本当に欲しい情報がネットにあった試しはない。
改めて自力で考察。
するとベストセラー作家のような勤勉で優秀そうな人でも、締め切り前日に徹夜マージャンしちゃったみたいなことをよく書いているのを思い出した。
周りの人たちからも似たような話はよく聞くし、観もする。
つまり、これは怠け者特有の症状ではないということである。
発生頻度に個人差あるかも、というところに一抹の不安は感じるものの、思い切って言ってしまえばみんな同じということであろう。
安心したような、絶望したような気持ちになる。
しかしそもそも、どうしてやる気がでないと気分が悪いのだろうか。
誰かに叱られる? お金を損する? 他人に置いていかれる気がする? 自信がなくなる? その他、何か実害があるからか?
う~ん、つきつめて考えるとよく分からない。
少なくとも上記したような話は根拠が曖昧である。
だって、思い切り実害がありそうなときは、ちゃんと体が動くからである。
つまり、やる気が出ないからといって、気分を悪くしなければならない必然的理由は無いのである。結論すると、気分が悪くなるのは、単なる思い込みもしくは社会的洗脳によるものということである。
勤勉をよしとする立場からは、これは暴論かもしれない。
しかしよく考えてみると、勤勉が文明を発達させたという話はうそ臭いのである。
むしろ歴史に残るような発明とか発見とかは、現実逃避とか、いかにして楽するかというような怠け心を原動力にしたものが多いのは周知の事実である。
進化論も生存するものが勤勉とは限らないといっている。
生き残るのは力強いものでも、体が大きいものでもなく、変化に対応できたものである。
変化に即応するには、何もしていないのが一番であろう。
つまり、やる気がでないことを思い悩むなんてのは、まったく的外れ。
「やる気がでなくてどこが悪い! やる気でないの大歓迎」といってよいのである。
昔の日本には、「やる気がでない・やるべきことをやらない人間」が主人公の話があった。
ものぐさ太郎である。
怠け心を受容する余裕を持つことがいかに大事であるか、昔の人はよく分かっていたのであろう。
現代人より、よっぽど思考が深かったのである。
と、自己正当化しつつ、また怠ける。
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