利休の背中

子供のころ、尊敬する人は? と、よく聞かれた気がする。
それは特別なことではなくて、どの子供もしょっちゅう聞かれる質問だったと思う。
無事に答えを聞くことに成功した大人たちは、たとえばエジンソンだったら、そうか君は科学者になりたいのか、などとしたり顔で返すわけである。そこで、ろくでもない大人は、じゃあしっかり勉強しなきゃあな、などと余計なことを言う。その上、なれなれしく頭をなでてくるのもいた。
そういった一連のやりとりは、言ってみれば季節の挨拶のような一種のプロトコール(儀礼)であった。それゆえ子供としては、いちおう答えは用意していたものである。それはいちおう自分の価値観・人となりを端的に表明する手段であったので、まあそれなりの人物の名前を仕込んでいたものだった。

社会人になって間もないころ、そう20年ぐらい前は、子供ではなく年配のオッサンが尊敬する人物について語っているのをよく見聞きした。
定番は戦国武将、特に、信長、秀吉、家康である。
これが面白いことに、オッサンの9割は信長と答えていた。
で、これまた決まったように、周りからは家康タイプと言われてますが、みたいなコメントがついている。


それからしばらくして、たぶんバブルがはじけてからであろうか、
尊敬する人は? という質問はあまり聞かなくなった。
尊敬する人について滔々と語っているオジサンも見かけなくなった。

それは、誰かを尊敬してますということが、なんか子供っぽくて小っ恥ずかしい、という雰囲気になってしまったからだと思う。完璧な人間なんていない。だからどんな人間にも問題点はある。そんな基本的なことも分かっとらんのか、と思われるのが嫌なのである。

そこで次に表れたのが、好きな人(選手、芸能人、等々)は? という質問であった。

尊敬する人は? という質問の目的は、もともと相手の価値観などについて基礎情報(概要情報)をゲットすることである。その目的からすれば、好きな人は?でもまあ似たような成果は期待できる。

聞かれた方は、身近な人物、あわよくば自分もなれそうな人物、あるいは、自分が贔屓にしてやってる芸能人、などの名前をあげる。そこにはもう、当然のことながら尊敬の念はまったくない。

ここでついに世の中は「尊敬する人が誰もいない状態」に突入したわけである。

しかし、よく考えてみると、尊敬する人は?という質問が全盛のころも同じだったのではないか。
なぜなら、尊敬する人 も 好きな人も、結局「その人が何をやったか」「何を残したか」で選んでいたからである。TPOに合わせて、あげる名前を変えていたにすぎない。

昔は、結果よりプロセスが大事ということが、本音はともかく建前としてはあった。
だから、尊敬する人は? という質問だった。
それが、結果がすべて、という本音を臆面なくさらけ出すようになり、質問も変わったということではないか。
つまり「誰かを尊敬すること」はもうだいぶ前からできなくなっていたのである。

それは、我々の心に大きな穴を開けてしまったように思う。
なんか一人ぼっちで寂しい状態なのである。

この状態はまた、自分のハードルも上げてしまった。
結果なんて、しょせん過去のものである。真似なんかできない。
じゃあ、それを上回る結果が出せるかというと、そんなもの易々出せるはずがない。
結果至上主義の世界ではプロセスや方法はないも同じ。頑張っても結果が出なけりゃダメなのである。
人を尊敬しなくなっただけのつもりが、自分も尊敬できなくなったというわけである。
やる気が失せ、鬱になるのも当然である。

この問題の原因は、いうまでもなく尊敬のなんたるかについての誤解である。
それは人が何をやってか、何を残したか、あるいは何を言ったか、という結果に対してするものではないのである。

ではどういうことか。

千利休の「わしが死ぬと、茶が廃れる」という言葉にその答えがあるように思う。
これは、茶道の形式主義化に対し警鐘を鳴らしたことばであった。
茶の湯は、脱常識を標榜する前衛芸術として出発した。「侘び、寂び」というのは、新しくてきれいなものではなくて「古びて、ボロボロ」を好しとする思想を表し、常識を全否定したことばである。
ところが利休スタイルが定着すると、ひたすらそのスタイルを模倣しようとする者が現われる。するとそれが伝統になり権威になり常識になってしまう。それはもはや利休の茶ではないのである。利休の茶は、常に脱常識を目指すものでなければならないのである。
それを分かってくれ、というのがこのことばのメッセージだろう。

姿勢や精神は人の前からでは、見ることができない。
だから昔の人は、尊敬する人に対して、背中を見る、ということばを使ったのだと思う。

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