実存主義パート1

「なりたいと思わなければなることはできない」
少し前のメールで書いたセリフです。

「ケッ、使い古しのフレーズだぜ!」
そうと思った方もいらしたかもしれません。

確かによく聞くフレーズ。
もはや「常識」ですね。

しかし実はこれ、せいぜいここ50年の新しい思想なのですね。

それ以前の人間理解は、
「人間の能力や役割は、生得的なもの。あがいても、変わるものではない」です。
つまり人間とは「神がプログラミングしたロボット」のようなものという考え方ですね。

それに対して、
「人間の本質は、行動によって、事後的に決定される」
と言い出したのが、弁証法のヘーゲルです。

この考えは世界中の思想に継承され、その結果、一般ピープルにまで定着。

この思想を広めるのに、大活躍した哲学者が二人いました。

一人は、マルクス。
「行動」を「労働」に読み替えると、共産主義の基本思想になります。

二人めは、サルトル。実存主義ですね。
実存主義は、ヘーゲル哲学を現代風にアレンジしたものと言っても間違いではない。

この実存主義の視点。
現代の文学やジャーナリズムの「基本」になっています。
だから、文学や報道文書を読むとき、実存主義を知っておくと分かりやすいです。

我々SEにとっても、思考の幅を広げ聴話力を向上させてくれる知識だと思います。

実存主義の視点とは?

私が重要と考えるのは次の3つです。

①視点の相対化
いわゆる「相手の立場に立って考える」ということですね。
実はサルトル先生、調子にのって、この視点を忘れました。
旧来の「神の視点」で語っちゃったのですね。マルクスも同じ過ちをしています。
そこを、こてんぱんにやっつけたのが、構造主義のレヴィー=ストロースです。
なので、「視点の相対化」は実存主義ではない、という人もいるかもしれませんが、まあ広い意味では含まれるということで、次に行きたいと思います。

②人間性=行動
あいつは良い奴だ、良くない奴だ、と断定しないということです。
あいつが「どう行動をしたか」で、その人間あるいは人間全体を捉える。
この視点、ついうっかり忘れがちです。
他人を全否定しちゃうこと。よくありますね。

鬼平犯科帳などの著者、池波正太郎は
「人は悪いことをしながら、良いこともする」という思想を全作品に貫いています。
この視点があるから、娯楽小説でありながら深みがあるのですね。


③自分とは何か
事に当たって「自分はどう行動するか」よく考えるということですね。
自分の行動が全世界に影響を及ぼす(アンガジェマン:実存主義用語、仏語で参加するの意)のだ。
そういうつもりでやれ! とサルトルは言っています。
(残念ながら、この視点を忘れているジャーナリストは多いです)

もちろん画一的な答えはない。
各人で考えなければならない問いであり、かつ一生かけても答えは見つからないかもしれない。
この問いをもたない人の表現は、深みのないものになります。

たとえば我らがF大佐。
一貫したテーマは「強いSEを作りたい。そのためにワシは行動する」だと思います。
だから、禅問答を読めというような、一見無茶なことを言われていても、我々はその背景に深い理由があるのでは?と直感するのですね。


ややこしい話になりました。
すみません。

次回もう一度、実存主義について書きます。
もうちょっと馴染みやすいテーマ、
宮崎駿の「千と千尋の神隠し」を取り上げます。

実存主義。

いかがでしょうか?

コメント

三島由紀夫 さんのコメント…
続きを楽しみにしております。

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