話す力
話す力(伝える力)とは、どういうものか。
無門関に、こういう公案があります。
【第二十則 「大力量人」】
松源和尚云く、「大力量の人、甚に因ってか脚を擡げ起こさざる。」又云く、「口を開くこと舌頭上に在らず。」
(現代語 愚訳)
ムキムキの筋肉マン(大力量人)だからといって、脚を自由自在に動かせるわけではない。
上手にしゃべったからといって、言葉が伝わる訳ではない。
どういう意味でしょうか。
小手先の技に溺れるな!とも読めますが、
私は「目的」を追求せよ!と読みました。
「話す」というのは結局のところ、何かの「目的」を達成するための「手段」でしかない。それを忘れてはいけない。「目的」をつきつめて考えておかないと道を誤るということです。
政治家の例です。
明治の政治家、伊藤博文は弁舌さわやかで議論にも強かった、それに対して井上馨は非常に口下手だったといわれます。
しかし渋沢栄一(だったと思う)の評価では、伊藤は「言う事は格好いいが、成果が出ない」、井上は「説明は下手だが、難しい問題を確実に処理する」だったそうです。
最近の政治家では、故・渡辺美智雄。雄弁な政治家ではなかった。
しかし交渉力が光ります。
1985〜1986の通産大臣時代、「日米経済摩擦」がピークの時にアメリカとの通商交渉に向かいました。
当然アメリカ側は、強硬な姿勢です。対日輸出増加を執拗に求めました。しかし渡辺は日本のお家芸「のらりくらり」でかわし切り、何ひとつ言質を与えず帰ってきました。
それに比して現在の某野党党首、同様の交渉でアメリカに出向いた時です。当時の携帯電話用周波数(アナログ)のなんと半分を、アメリカの携帯電話会社たった1社(モトローラ)に譲ることを約束して帰ってきました。どう考えてもあり得ない話です。
それ以降、IT系通商交渉で日本は不戦敗連続。国産UNIX開発の断念、国産PC規格(MSX)の断念、国産PC OS(TRON)の断念などなど。優勝まであと一歩の技術分野で、日本のIT業界は指をくわえて出場辞退せざるを得なくなったわけです。
と、ここまで言っておいてなんですが、
「手段」の「話す力」も鍛えておくに越したことはありません。
実際、その方が得なことが多いからです。
話す力を鍛える方法、について無門関ではどう言っているか。
【第七則 趙州洗鉢】
趙州因みに僧問う、「某甲、乍入叢林、乞う師指示せよ。」州云く、「喫粥し了るや未だしや。」僧云く、「喫粥し了る。」州云く、「鉢盂を洗い去れ。」其の僧省有り。
(現代語 愚訳)
訪ねてきた修行僧が趙州に尋ねました。
「師匠、どうしたら悟り開けるか教えてください」
「お前、朝飯食ったか?」と趙州。
「はい、食いました。けど、それが何か?」
「そんなら、茶碗洗って、去れ」
そう言われた僧は、ハッと気づきました。
何を言いたいのか。
私は「当たり前のことを、当たり前のようにやる、それが修行だ」ということだと読みました。
道を極めるのに、近道とか特別なうまい手なんてない。
愚直に基本的な修行を続けるしかない。ということだろうと思います。
「話す」ための基本的な準備とは何でしょうか。
結局、「原稿を書く」「声に出して読んでみる」。
で、つっかえたら原稿を直す、また読む、
これに尽きると思います。
いかがでしょうか?
無門関に、こういう公案があります。
【第二十則 「大力量人」】
松源和尚云く、「大力量の人、甚に因ってか脚を擡げ起こさざる。」又云く、「口を開くこと舌頭上に在らず。」
(現代語 愚訳)
ムキムキの筋肉マン(大力量人)だからといって、脚を自由自在に動かせるわけではない。
上手にしゃべったからといって、言葉が伝わる訳ではない。
どういう意味でしょうか。
小手先の技に溺れるな!とも読めますが、
私は「目的」を追求せよ!と読みました。
「話す」というのは結局のところ、何かの「目的」を達成するための「手段」でしかない。それを忘れてはいけない。「目的」をつきつめて考えておかないと道を誤るということです。
政治家の例です。
明治の政治家、伊藤博文は弁舌さわやかで議論にも強かった、それに対して井上馨は非常に口下手だったといわれます。
しかし渋沢栄一(だったと思う)の評価では、伊藤は「言う事は格好いいが、成果が出ない」、井上は「説明は下手だが、難しい問題を確実に処理する」だったそうです。
最近の政治家では、故・渡辺美智雄。雄弁な政治家ではなかった。
しかし交渉力が光ります。
1985〜1986の通産大臣時代、「日米経済摩擦」がピークの時にアメリカとの通商交渉に向かいました。
当然アメリカ側は、強硬な姿勢です。対日輸出増加を執拗に求めました。しかし渡辺は日本のお家芸「のらりくらり」でかわし切り、何ひとつ言質を与えず帰ってきました。
それに比して現在の某野党党首、同様の交渉でアメリカに出向いた時です。当時の携帯電話用周波数(アナログ)のなんと半分を、アメリカの携帯電話会社たった1社(モトローラ)に譲ることを約束して帰ってきました。どう考えてもあり得ない話です。
それ以降、IT系通商交渉で日本は不戦敗連続。国産UNIX開発の断念、国産PC規格(MSX)の断念、国産PC OS(TRON)の断念などなど。優勝まであと一歩の技術分野で、日本のIT業界は指をくわえて出場辞退せざるを得なくなったわけです。
と、ここまで言っておいてなんですが、
「手段」の「話す力」も鍛えておくに越したことはありません。
実際、その方が得なことが多いからです。
話す力を鍛える方法、について無門関ではどう言っているか。
【第七則 趙州洗鉢】
趙州因みに僧問う、「某甲、乍入叢林、乞う師指示せよ。」州云く、「喫粥し了るや未だしや。」僧云く、「喫粥し了る。」州云く、「鉢盂を洗い去れ。」其の僧省有り。
(現代語 愚訳)
訪ねてきた修行僧が趙州に尋ねました。
「師匠、どうしたら悟り開けるか教えてください」
「お前、朝飯食ったか?」と趙州。
「はい、食いました。けど、それが何か?」
「そんなら、茶碗洗って、去れ」
そう言われた僧は、ハッと気づきました。
何を言いたいのか。
私は「当たり前のことを、当たり前のようにやる、それが修行だ」ということだと読みました。
道を極めるのに、近道とか特別なうまい手なんてない。
愚直に基本的な修行を続けるしかない。ということだろうと思います。
「話す」ための基本的な準備とは何でしょうか。
結局、「原稿を書く」「声に出して読んでみる」。
で、つっかえたら原稿を直す、また読む、
これに尽きると思います。
いかがでしょうか?
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