簡潔主義

「要はどういうこと?」 と最近よく言ってしまう。
相手の話が要領を得ないときだ。

確かに最近「言葉数は多いのに内容がない」という人が多い。
「寡黙は美徳」なんてのは昔の話。今は「しゃべるが勝ち」という空気である。

しかし「要はどういうこと?」といってしまうのは、相手のせいだけとは限らない。
よく考えると、こっちの問題もだいぶありそうである。
中でも特に気になるのは「自分が簡潔主義に毒されているのではないか」ということだ。

簡潔主義は20世紀以前、科学的方法の基礎をなした思想である。簡単に言えば(これこそ簡潔主義だが、)理論は単純・簡単であればあるほどよい、という考え方である。

この思想の背景にはユダヤ・キリスト教の「神がこの世界を作った」という世界観がある。
森羅万象は神様が何かの意図をもってつくった。だから、何事も「すっきりした法則」に落ち着くはずという発想だ。

しかし時を経るにつれ、「世の中はすっきりしていないらしい」ことが明らかになってきた。
ことユークリッド幾何学が、人間の考えた公理系のひとつに過ぎないとバレるにいたり、「創造主が世界を設計したという話」は唯一のエヴィデンスを失うのである。このことに最初に気づいたガウスは、恐ろしさのあまり死ぬまで隠していたといわれる。ガリレオみたいに処刑されたらたまらんからである。

「創造主が世界を設計した」という思想に最後まで拘泥したのは、皮肉なことに非ユークリッド幾何学を駆使して「相対性理論」を打ち立てたアインシュタインだった。「統一場理論」なる神の法則を発見せんと晩年を費やした。しかし結局、理論は完成できず。ボーアたちにやっつけられてしまう。ボーアたちは「そんな法則なんてねえよ」と言い放ったのである。

そんなこんなで、「簡潔主義」は「知の最先端」では支持されなくなった。

ところが、一般社会では「簡潔主義」が定着してしまった。
反省の兆しはまったくない。

どうしてこういうことになってしまったのか。
結局「簡潔主義」は庶民感覚にぴったりくるからからだろう。

だって、難しいこと考えなくてよいし、
「お前の言ってることはよく分からん、もっと簡単に説明して」て言っておけば、
なんか正論吐いている感じになる。知識不足も思考不足も誤魔化せる。
これも結構な話なのである。人間と水が低きに流れなかったことはない。

で、思考停止。

わかっちゃいるけどやめられない。
一種の麻薬ですね。簡潔主義は。
そういう私も、「簡単に」。。。という言葉が止まりません。

コメント

匿名 さんのコメント…
今回は非常に面白い。
出来も良い。
「人間も水も低きに流れる」は一種名言。

最近入った上司がよく言うセリフ。
「川の流れに字を書くが如く」。
全然同意でないですが、流れで思い出したので。