聞く力
元首相、故・竹下登はコミュニケーションの達人だったと言われます。
特に「聞く力」がたいへん優れていたそうです。
竹下さんの「聞く力」を支えていたのは、たった3つの言葉でした。
ひとつめの言葉。
「ほう」です。
どんな話を聞いても、まずは「ほーう」と感心する。
そして、話が佳境にさしかかると、すかさず二つめの言葉を発します。
「なんと!」です。
目をむいて「それは知らなかった」と驚くわけです。
話し手が語り終えると、この言葉でしめくくります。
「さすが」です。
「さすが、あなた。感心した。ありがとう」と相手を褒めるのです。
こういうふうに話を聞いてもらった人はどう思うでしょうか。
嬉しいに決まってますね。
みんな、また褒めてもらいたくて、ネタを探すようになったのでしょう。
その結果、竹下さんのところには、日本中の情報が集まるようになった。
それが首相に押し上げる大きな力になった、ということだと思います。
無門関にも「聞く力」についての公案があります。
第十則 清税孤貧
曹山和尚、因みに曹問うて云く、「清税孤貧、乞う師、賑濟したまえ。」
山云く、「税闍梨。」應諾す。
山曰く、「青原白家の酒、三盞し了って、猶お道う未だ唇を沾さずと。」
(現代語 愚訳)
曹山和尚のところに清税という僧が教えを乞いにやってきました。
「私、ひとり極貧で修行している清税と申します。
一生懸命やってるのですが、いまだに悟りが開けません。
どうか教えを頂戴したく、よろしくお願いいたします」
曹山が呼びかけます「税さんとやら」。
「はい、お師匠さま。なんでしょうか?」
「あんたね、銘酒(青原白家の酒)を三杯も飲んでおいて、まだノドが乾いたと言うのかね」
どういうことか。
曹山は清税を「銘酒を三杯も飲んだ状態」と評している。
これは、清税の頭の中に、自分の知識や考えがぎっしりつまっていて、とても人の話を聞ける状態ではない、ということだと思います。
酒を三杯飲んだ状態とは「表面張力いっぱいまで水がはいったグラス」と同じ。そこに水を注いでも、こぼれるだけです。中に入っていきません。
つまり新しい知識を吸収するためには、グラス=頭を空っぽにしなければならない、ということです。
人の話を途中でさえぎって「それってあれでしょう」とか「要するに、あれと同じでしょ」なんて言う人がいます。そういう人は清税と同じですね。
みすみす「新しい情報を得る機会」を逃しているわけです。
本当に重要な情報は、砂浜の砂金のようなもの。
たくさんのガラクタ情報の中に、ひっそり埋もれています。
心を空にして耳を研ぎ澄まさなければ、得ることはできません。
先ほどの竹下さんは、それをよく分かっていたのだと思います。
竹下さんは、早いうちから自民党最大派閥の実力者でした。
だから、大概のことは、人から聞く前に知っていた筈です。
ところが誰の話を聞いても、「知ってる」とか「聞いたことある」とか言わない。
もちろん「つまらん事、言いに来るなよ」なんて絶対言わない。
どんな人のどんな話にも興味をもって熱心に耳を傾けたのでしょう。
もしそうでなく、口先だけで「ほう」「なんと」「さすが」と言っていたら。
代議士の先生といえば人間関係の達人です。そんな虚偽はすぐに見破られて、誰も情報はもって来なくなったと思います。
それでは総理大臣にはなれなかったでしょうね。
いかがでしょうか。
特に「聞く力」がたいへん優れていたそうです。
竹下さんの「聞く力」を支えていたのは、たった3つの言葉でした。
ひとつめの言葉。
「ほう」です。
どんな話を聞いても、まずは「ほーう」と感心する。
そして、話が佳境にさしかかると、すかさず二つめの言葉を発します。
「なんと!」です。
目をむいて「それは知らなかった」と驚くわけです。
話し手が語り終えると、この言葉でしめくくります。
「さすが」です。
「さすが、あなた。感心した。ありがとう」と相手を褒めるのです。
こういうふうに話を聞いてもらった人はどう思うでしょうか。
嬉しいに決まってますね。
みんな、また褒めてもらいたくて、ネタを探すようになったのでしょう。
その結果、竹下さんのところには、日本中の情報が集まるようになった。
それが首相に押し上げる大きな力になった、ということだと思います。
無門関にも「聞く力」についての公案があります。
第十則 清税孤貧
曹山和尚、因みに曹問うて云く、「清税孤貧、乞う師、賑濟したまえ。」
山云く、「税闍梨。」應諾す。
山曰く、「青原白家の酒、三盞し了って、猶お道う未だ唇を沾さずと。」
(現代語 愚訳)
曹山和尚のところに清税という僧が教えを乞いにやってきました。
「私、ひとり極貧で修行している清税と申します。
一生懸命やってるのですが、いまだに悟りが開けません。
どうか教えを頂戴したく、よろしくお願いいたします」
曹山が呼びかけます「税さんとやら」。
「はい、お師匠さま。なんでしょうか?」
「あんたね、銘酒(青原白家の酒)を三杯も飲んでおいて、まだノドが乾いたと言うのかね」
どういうことか。
曹山は清税を「銘酒を三杯も飲んだ状態」と評している。
これは、清税の頭の中に、自分の知識や考えがぎっしりつまっていて、とても人の話を聞ける状態ではない、ということだと思います。
酒を三杯飲んだ状態とは「表面張力いっぱいまで水がはいったグラス」と同じ。そこに水を注いでも、こぼれるだけです。中に入っていきません。
つまり新しい知識を吸収するためには、グラス=頭を空っぽにしなければならない、ということです。
人の話を途中でさえぎって「それってあれでしょう」とか「要するに、あれと同じでしょ」なんて言う人がいます。そういう人は清税と同じですね。
みすみす「新しい情報を得る機会」を逃しているわけです。
本当に重要な情報は、砂浜の砂金のようなもの。
たくさんのガラクタ情報の中に、ひっそり埋もれています。
心を空にして耳を研ぎ澄まさなければ、得ることはできません。
先ほどの竹下さんは、それをよく分かっていたのだと思います。
竹下さんは、早いうちから自民党最大派閥の実力者でした。
だから、大概のことは、人から聞く前に知っていた筈です。
ところが誰の話を聞いても、「知ってる」とか「聞いたことある」とか言わない。
もちろん「つまらん事、言いに来るなよ」なんて絶対言わない。
どんな人のどんな話にも興味をもって熱心に耳を傾けたのでしょう。
もしそうでなく、口先だけで「ほう」「なんと」「さすが」と言っていたら。
代議士の先生といえば人間関係の達人です。そんな虚偽はすぐに見破られて、誰も情報はもって来なくなったと思います。
それでは総理大臣にはなれなかったでしょうね。
いかがでしょうか。
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