差別化思想の果てに
いつからか日本でも差別化思想が定着してしまった。
差別化思想とは「他者と違うのがよい」あるいは「他者と違わなければいけない」という考えである。
西洋、特にアメリカの思想だ。
人と違うことをアピールする一番の方法は、他人と違う独創的な言動を行うことである。それはまんざら悪くもない。
しかし独創的な言動というのは、簡単にできるものではない。
簡単にできないからこそ独創的といえるのである。
なのに「他人と違うことをしろ、さもなければお前は駄目な奴だ」とせっつかれる。
みんな困り果てた。
そこで西洋人はたいへん便利な方法を思いついた。
「部分否定」という技である。
「あなたの意見10個のうち1個に反対です。それについて私はこう思います」という方法だ。
まことに経済的である。
枝葉末節なところにちょっと反論して、その代案を出しさえすれば、一丁あがり。
あたかもオリジナルのことを語ったような格好がつく。
一から思想を構築するのと比べると何万倍も楽である。
当然この技は大流行した。
その結果、一から思想を構築するのはバカらしいとみんな思うようになってしまった。
その代わり、他人の粗探しを熱心に行うようになった。
独創性の振興を目指したはずの「差別化思想」が、独創性の発育を阻害するという皮肉な結果である。生産性の向上とか投資効率の向上とかいうことばを金科玉条のように口にする人たちが、いかにも犯しやすい失敗である。
我が国日本はどうしたか。
古来、文明輸入については世界一熱心な国である。
こんな便利な方法を見逃すはずはない。
例によって、あっという間に「部分否定大国」の仲間入りである。
しかも日本人はただ輸入しただけではない。
たちどころに「カイゼン」してしまった。
部分否定の本質が思考の経済化であることを見抜き、もっと経済的にしてしまったのである。
つまり、「代案を出す」ってところまで削ってしまったのである。
「ジャスト!否定だけ」。
さすが日本人。これは経済的である。
「ジャスト!否定だけ」という技がもっとも活用されているのは、いうまでもなくインターネットの世界である。コメントとか意見とかいうものの99%は他人の否定。代案なし。
進取の精神あふれる我が国の人民は新しい玩具=部分否定に狂喜乱舞の毎日である。
否定さえしておけば、なんか頭よさげに見える。こんなうまい話はない。
でもね、実は頭よさげには見えてないんですよ。
警告、そんなことしてたら、本当に頭が悪くなります。
良い子は、まねしちゃいけません。
差別化思想とは「他者と違うのがよい」あるいは「他者と違わなければいけない」という考えである。
西洋、特にアメリカの思想だ。
人と違うことをアピールする一番の方法は、他人と違う独創的な言動を行うことである。それはまんざら悪くもない。
しかし独創的な言動というのは、簡単にできるものではない。
簡単にできないからこそ独創的といえるのである。
なのに「他人と違うことをしろ、さもなければお前は駄目な奴だ」とせっつかれる。
みんな困り果てた。
そこで西洋人はたいへん便利な方法を思いついた。
「部分否定」という技である。
「あなたの意見10個のうち1個に反対です。それについて私はこう思います」という方法だ。
まことに経済的である。
枝葉末節なところにちょっと反論して、その代案を出しさえすれば、一丁あがり。
あたかもオリジナルのことを語ったような格好がつく。
一から思想を構築するのと比べると何万倍も楽である。
当然この技は大流行した。
その結果、一から思想を構築するのはバカらしいとみんな思うようになってしまった。
その代わり、他人の粗探しを熱心に行うようになった。
独創性の振興を目指したはずの「差別化思想」が、独創性の発育を阻害するという皮肉な結果である。生産性の向上とか投資効率の向上とかいうことばを金科玉条のように口にする人たちが、いかにも犯しやすい失敗である。
我が国日本はどうしたか。
古来、文明輸入については世界一熱心な国である。
こんな便利な方法を見逃すはずはない。
例によって、あっという間に「部分否定大国」の仲間入りである。
しかも日本人はただ輸入しただけではない。
たちどころに「カイゼン」してしまった。
部分否定の本質が思考の経済化であることを見抜き、もっと経済的にしてしまったのである。
つまり、「代案を出す」ってところまで削ってしまったのである。
「ジャスト!否定だけ」。
さすが日本人。これは経済的である。
「ジャスト!否定だけ」という技がもっとも活用されているのは、いうまでもなくインターネットの世界である。コメントとか意見とかいうものの99%は他人の否定。代案なし。
進取の精神あふれる我が国の人民は新しい玩具=部分否定に狂喜乱舞の毎日である。
否定さえしておけば、なんか頭よさげに見える。こんなうまい話はない。
でもね、実は頭よさげには見えてないんですよ。
警告、そんなことしてたら、本当に頭が悪くなります。
良い子は、まねしちゃいけません。
コメント
なんと企業の中に多いことか。
しかも、そんな連中は上層部に受けがいいと来たもんだ。
具体例では、部下を否定することで、コーチングしてると勘違いする上司や、意図(パフォーマンス)的にまわりに恣意行動(デモンストレーション)するずる賢い上司もいたりして。
(まあ、嫁姑構図と同類かも。「まったく、家の嫁ときたら全然躾がなってなくて・・・」)
でも、よさげに見えると、まわりの注目度(やっかみ)も上がるので、否定ばかりだと、本当に頭がよいかどうか、いつか審判が下り・・・自然淘汰。
(幾つもこなせた人は本当に頭いい)