意外な関係


少し前ですが12月13日(日)にハプスルブルグ展に行きました。

お客さんの入りは全般的によかったようですが、その日は会期中最後の日曜日でしたので、特に人が多かったようです。
年齢別では年配の人(年金世代?)が多かったですが、若い人(学生?)もたくさんきていました。
男女では女性が3分の2ぐらいですかね。


展示されている絵は、王族の肖像画が4割、宗教画が4割、その他(風景画など)2割という感じでした。ウイーンとブダベストから運んだものだそうです。

こういう古い人物画を見るといつも思いますが、男前もしくは立派な男の基準は昔も今もあまり変わっていないですね。あまり違和感がないです。


ところが女性の方は美人の基準が昔と今で全然違うような気がします。



なんでそうなのか。

女性は500年もあれば相当進化しているが、男はぜんぜん進歩なし、ということでしょうか。



全然話は変わります。

ハプスブルグ家が最後に君臨したオーストリア=ハンガリー帝国は、実は、日本の国語政策に大きな影響を与えた国なのです。


当時、欧州留学中で、後に日本の国語政策を主導することになる上田萬年が、その帝国の言語政策を熱心に研究していたからです。
上田の目的は、(日本が植民地化したばかりの)台湾と韓国での「日本語教育」の方針作りに役立てることでした。

オーストリア=ハンガリー帝国の言語政策は、強硬かつ性急な言語統一政策でした。しかしそれが原因で民族間の対立が深刻化、言語どころか国の統一も危うい状態になっていました(その対立がやがて第一次世界大戦に発展します)。

それを知った上田は、ロシア・フランス・ドイツでも言語統一政策が成功していないことも知り、「植民地に宗主国の言語を定着させる」のは非常に難しいという認識を得ます。

ここで普通なら植民地での日本語教育に反対しそうなものですが、上田はなぜか推進する立場を取ります。
その理屈は、オーストリア=ハンガリーの失敗は「強硬・性急」だったからで、ゆっくり優しくやればきっと大丈夫、という日寄った感満点のもの。本当はどう思っていたのか。

ところで上田には、もう一つ重大なミッションがありました。
「国語の標準化」の内容を検討することです。実はこちらがメインで、植民地政策は韓国総督府からついでにお願いされたサブ課題でした。

しかし上田が植民地での日本語教育を推進する立場を取ったために、「国語の標準化」という本来は国内言語仕様の問題に、植民地対応という特殊要件=輸出仕様が加わることになったわけです。

ここに、よく言えば野心的、悪く言えば強欲的な「日本の国語国字問題」が誕生するわけです。

国内仕様重視の人からすれば、日本語の伝統をどう思っておるのか、もっと古文の授業を増やせ、日本語を簡単化するなどもってのほかということになる。逆に輸出仕様重視の人は、仮名はアルファベットに、漢字は廃止、と日本語をできるだけ簡単にしようとする。

そういうイデオロギー対立の合間に、有象無象も参戦します。
まずは軍隊。兵隊同士で話が通じないとか兵隊がマニュアルを読めないとかいうことに頭を悩ましていた彼らは、基本的には簡単化に賛成します。その一方、大本営発表みたいなものでは、口頭発表であるにもかかわらずあえて文語・難読語を使って、権威を強調したり。
次はマスコミ。戦前戦後を問わず、簡単化派を全面バックアップ、というかいつの間にやら先頭を走っています。それは決して国民のためではなく、自分たちの儲けのためです。印刷コストを下げたかったからというだけです。

目的や目標がはっきりせぬまま、欲と欲とがぶつかり合って、なんか訳の分からぬことになってしまった。
そしてその状態は、男の肖像画における美意識には500年以上大きな変化がないのと同様、今も変わっていないと思うのであります。

(最後は強引でした)

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