百田尚樹・渡部昇一「ゼロ戦と日本刀」PHP2013

「永遠の0」の関連本です。
大東亜戦争にまつまわる興味深い話がたくさん収録されています。
無闇に護憲を唱えている人には是非ご一読いただきたい本です。

■憲法改正について
諸外国の状況は次の通りです。
・アメリカ18回
・フランス24回
・メキシコ408回
・ドイツ58回

注目すべきはドイツで、この回数は、戦後占領軍に押しつけられた新憲法に対する改正回数です。
ドイツ人は、その憲法を憲法とは認めず「ボン基本法(占領政策基本法)」と呼んで、占領が解けるや否や変えまくって自分たちの憲法を作り上げたわけです。
現在の日本国憲法は、67年間一度も改正しておりませんので、まぎれもなく世界最古の憲法です。

■日本人の憲法意識に悪のりした戦勝国
大日本帝国憲法は、いわゆる欽定憲法(天皇が制定した)であったがために、国民には「憲法は金甌無欠(きんおうむけつ)」という意識が強く、憲法改正を論議すること自体に、もともと非常にタブー感がありました。
戦勝国、特にあの国は、それに完全にただのりし、平和主義および左翼勢力の主張をうまくミックスして「護憲」なるわけのわからん日本にしかないイデオロギーを作り上げたわけです。
平和主義を根拠に、護憲を唱えている人たちは、自分たちがまんまと世界一の戦争国家に利用されているという事実をどうか分かってほしいと願います。

■日本が英米を相手に戦争した理由
百田尚樹の「海賊と呼ばれた男」とか山崎豊子の「不毛地帯」などでもさんざん描かれているように、日本が英米相手の戦争に突入した直接的な理由は、アメリカから石油を止められたためです。
当時も石油は中東などでも見つかっていました。
なのに、なぜ日本はアメリカからの輸入依存度がそんなに高かったのか(約8割をアメリカから輸入)。
それは1928年(昭和8年)に秘密裏に締結された「アクナキャリー協定」というものがあったからです。
この協定は、要するに闇カルテルで、当時のビッグスリーロイヤルダッチシェル、アングロ・ペルシャ(現在のBP)、ニュージャージー・スタンダード(現エクソン)がアメリカとソ連を除く世界の販売価格とシェアを勝手に決めたものです。
そのなかで、対日輸出はアメリカのシマということになり、日本は中東などから自由に輸入できなくされました。
ちなみにこの協定では、盟友の英国すらもシカトされていて、高い石油を買わされる側になりました。のちにそれを知ったチャーチルは、アメリカに猛抗議したそうですが、後のフェスティバル。

■宣戦布告の問題
原爆まで落とされていながら、なんとなくアメリカに文句いえない感じになっている最大の原因が、映画でくりくり返しくり返しやられている宣戦布告の遅れ問題です。
そもそもそれって問題だったのか。
まず指摘しておかないといけないのは、ベトナム戦争でもイラク戦争でも、アメリカは一回も宣戦布告などしたことはないという事実です。
というかアメリカはあれだけ戦争していますが、宣戦布告したことはほとんどありません。

■パリ不戦条約(戦争放棄に関する条約)における戦争可能の条件
1928年(昭和3年)に、世界の主立った国、もちろん日本やアメリカもこの条約に署名しました。
戦争やりたい人が多いあの国では、この条約を納得してもらうのは一苦労。
当時のケロッグ国務長官は議会で次のように答弁したそうです。
「これは戦争ができない条約ではなく、侵略戦争を防ぐための条約だ(つまり戦争はやってもいい)」
これに対して、侵略戦争の定義を追求されたケロッグは、こう答えました。
「他国が国境を越えて攻めてくることだけが侵略ではない。経済的に重大な被害を受けることも侵略にあたる」
この定義でいけば、石油の対日全面禁輸が「侵略戦争行為」にあたることは明白です。
それを東京裁判ではインドのパール判事が指摘してくれたわけです。

■日本の軍人(高級士官)がだめだった理由
この本では、華族制度が原因かも、と示唆されていました。なるほどね、と思いました。
どういうことかというと、日露戦争で最前線に立ち戦死してしまった、超優秀で人望もあった士官たちは、英霊とかなんとかまつりあげられはしたものの、結局それだけ。
ところが生き残った(あんまり優秀ではない、人徳もない)士官連中は、その後昇進を重ねて、なかなにはまんまと男爵とかに列せられたものもいた。それを見た、高級軍人たちには「戦場で死ぬのは損」という意識が実は広がっていたのではないかと。特に海軍は長年戦争をしておらず、官僚化が進んでいたこともあって、そういう保身精神が非常に強かったのではないかという説です。連合艦隊の相次ぐ失敗を見ると、たしかにそうかもなと思いました。


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