変態的読解

ノーベル賞4名!
うれしいニュースですね。

受賞者を見て、どういう印象も持たれたでしょうか?

私は「本物の変態だ!」と思いました。

変態とはどういうことか?

たとえば新しい電気製品を見たとき、「使いたい」と思うのはふつうの人。
「分解して中を見たい」のが変態です。

映画を見て、「涙流したり、感動したり」するのはふつうの人。
「テーマは何か」「せりふやシーンがどいうメッセージにつながっているのか」
一々考えすぎて涙流す暇もないのが変態です。

さらに上級者は、分析だけでなく「自分でも作りたい」と考えます。

どの分野でも、発信側になりたい人は上級変態にのぼりつめる必要がある。
我々の業界も同じです。
最近、ふつうの人が増えているのが心配です。


さて、無門関を変態的に読むと、どうなるでしょうか?

まず、文学つまり「フィクション」だと分かりますね。
現実離れした話が多いからです。
猫を殺したり、弟子の指を切断したりはないでしょ。
テーマを強く語るため、ストリーやキャラクターを操作し激しい表現にしたと考えるのが妥当。

もちろん事実も混じっているでしょうが、それを見極めても意味がない。
文学はテーマを伝えるために書かれたもので、事実を伝えるためのものではないからです。

では、無門関のテーマとは何か?
最終的には「悟りとは何か?」でしょうね。
しかし、それではテーマが大きすぎる。
それで公案ごとにテーマをブレークダウンしている。

と、ここまでは二級変態の私にも分かります。

その先が問題ですね。


みなさんは如何でしょうか?

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