言葉麻薬
先日、ある文章を書いたところ、文の間に「これにより」を入れて、
と依頼者から言われました。
文のつながりを分かりやすく、ということですね。
接続詞は、論理構造を明確してくれる便利なツールです。
ものすごく多用している人も、よく見ます。
「解説」の、つまり、すなわち、要するに
「根拠」の、だから、ゆえに、なぜならば
「付加」の、たとえば、ただし、もし
「転換」の、しかし、だが、とはいえ、けれども、ところが
しかし、小説やニュース原稿(記事なども)では「接続詞をできるだけ省く」のが鉄則と言われています。
なぜか。
理由は大まかにいうと、二つです。
一つは、接続詞が多いと、情報の密度が薄まり、情報伝達力(インパクト)が弱まるからです。
次の二つの文章を見比べて下さい。
①接続詞あり
「駅に着いた。それから道を歩いた。そしてそこは石畳だった。それによりローマに来たことを実感した。」
②接続詞なし
「駅に着いた。道を歩いた。石畳だった。ローマに来たことを実感した。」
②の方が、肝心なことが頭に残りやすいですね。
実際、プロの小説家は、①のような文章は書きません。
二つめの理由。
接続詞への依存は、思考の粗雑化につながるからです。
明晰でない文章でも、間に接続詞を入れれば、なんとなく体裁が整う。
これは「まやかしの明晰さ」です。
接続詞を使わずに、伝わるように書く。
そう努力することで、本当に明晰な文章になるのですね。
結局、私は、文章を丸ごと書き直しました。
接続詞は便利な「薬」ですが、乱用すれば中毒になる「言葉麻薬」ではないかと思います。
いかかでしょうか?
と依頼者から言われました。
文のつながりを分かりやすく、ということですね。
接続詞は、論理構造を明確してくれる便利なツールです。
ものすごく多用している人も、よく見ます。
「解説」の、つまり、すなわち、要するに
「根拠」の、だから、ゆえに、なぜならば
「付加」の、たとえば、ただし、もし
「転換」の、しかし、だが、とはいえ、けれども、ところが
しかし、小説やニュース原稿(記事なども)では「接続詞をできるだけ省く」のが鉄則と言われています。
なぜか。
理由は大まかにいうと、二つです。
一つは、接続詞が多いと、情報の密度が薄まり、情報伝達力(インパクト)が弱まるからです。
次の二つの文章を見比べて下さい。
①接続詞あり
「駅に着いた。それから道を歩いた。そしてそこは石畳だった。それによりローマに来たことを実感した。」
②接続詞なし
「駅に着いた。道を歩いた。石畳だった。ローマに来たことを実感した。」
②の方が、肝心なことが頭に残りやすいですね。
実際、プロの小説家は、①のような文章は書きません。
二つめの理由。
接続詞への依存は、思考の粗雑化につながるからです。
明晰でない文章でも、間に接続詞を入れれば、なんとなく体裁が整う。
これは「まやかしの明晰さ」です。
接続詞を使わずに、伝わるように書く。
そう努力することで、本当に明晰な文章になるのですね。
結局、私は、文章を丸ごと書き直しました。
接続詞は便利な「薬」ですが、乱用すれば中毒になる「言葉麻薬」ではないかと思います。
いかかでしょうか?
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