自問自答
2008年の最終回です!
どうもご愛読?ありがとうございました。
新年第一号は1月1日にブログで発表します。
喫煙ルームなどで若い人に会うと、
いきなり「どう?」と訊いてみます。
超オープン・クエスチョンですね。
なぜかというと、相手の反応を見るのが面白いからです。
私の調査?によると、反応パターンは概ね次の3通りです。
①反射的に返す
「ばっちりです」「まあまあです」「最悪です」などと即レスするパターン。
ノリを大事にする人たちですね。
私自身もよくやります。
②質問で返す
「仕事の調子ですか?」「健康の話ですか?」などと言い返してくるパターンです。
考えるための時間稼ぎをしている風、もいますが、
「本当に質問の意味が分からん」という人が案外多いです。
この人たちには二種類いて、
ひとつは「すみません、教えてください」タイプ。
もうひとつは「正しく「質問」してくれないと、回答できません」と非難気味に返すタイプです。
後者を私は「グーグル君」と呼んでいます。
要は「キーワード」を指定してあげないと「答え」が出せない人ということですね。
こういう人に限って「自分は頭がいい」と思い込んでいる場合が多いです。
③自問自答で返す
「しばらく忙しかったんですが、最近ようやく楽になりました」とか
「システムテストが始まったんで、ばたばたしています」
のように、相手が聞きたいこと予測して回答するパターンです。
この「どう?」とか「どう思う?」という質問。
実は私もエライ人からよく受けます。
そのとき私はどうするかと言うと、
必死で③「自問自答」しますね。
なぜか。
この質問は結局、「答え」ではなく、「問い」を求めるものと思うからです。
「問い」とはすなわち「思考のテーマ」あるいは「視点」ですね。
エライ人が若手をつかまえて「どう?」と訊くのは、(自分にはない)視点を求めているか、(自分が忘れかけている)テーマを思い出させてほしいということでしょう。
それに対して、①ならまだしも、②では「使えねえ~」と評価される可能性大ですね。
③でも、ありきたりな自問自答であれば「つまらねぇことしか考えてねえ奴」と思われるでしょう。
だから私もエライ人から「どう?」なんて訊かれると、「ひえー」と焦りつつ必死で「問い」を探すわけです。
私の知る限り、会社のエライ人とかコンサルや弁護士などの知的プロフェッショナルで、①や②の返しをする人はまずいません。
「よくこんな訳の分からん質問に答えられるよなあ」という状況でも、必ず③で返しています。
しかも、相手をそこそこ満足させている。
すごいな、と感心します。
スピーチも、聞いている人の「どう?」に答える行為だと思います。
特に我々が今やっているようなものは、そうですね。
聞き手が興味あるのは、「答え」ではなく「問い」。
いくら「すばらしい答え」を語っていても、「問い」自体がつまらないものであったり聞き手にとって興味のないものであれば、それは眠くなるスピーチにしかならない。
「答え」はしょせん思考の残骸でしかないし、「答え」の立派さは決して「思考」の立派さを保証するものでもないのですね。
残骸の検索だけなら「グーグル」で十分。
「考える葦」=人間は必要ない、そう思うのですね。
いかがでしょうか?
どうもご愛読?ありがとうございました。
新年第一号は1月1日にブログで発表します。
喫煙ルームなどで若い人に会うと、
いきなり「どう?」と訊いてみます。
超オープン・クエスチョンですね。
なぜかというと、相手の反応を見るのが面白いからです。
私の調査?によると、反応パターンは概ね次の3通りです。
①反射的に返す
「ばっちりです」「まあまあです」「最悪です」などと即レスするパターン。
ノリを大事にする人たちですね。
私自身もよくやります。
②質問で返す
「仕事の調子ですか?」「健康の話ですか?」などと言い返してくるパターンです。
考えるための時間稼ぎをしている風、もいますが、
「本当に質問の意味が分からん」という人が案外多いです。
この人たちには二種類いて、
ひとつは「すみません、教えてください」タイプ。
もうひとつは「正しく「質問」してくれないと、回答できません」と非難気味に返すタイプです。
後者を私は「グーグル君」と呼んでいます。
要は「キーワード」を指定してあげないと「答え」が出せない人ということですね。
こういう人に限って「自分は頭がいい」と思い込んでいる場合が多いです。
③自問自答で返す
「しばらく忙しかったんですが、最近ようやく楽になりました」とか
「システムテストが始まったんで、ばたばたしています」
のように、相手が聞きたいこと予測して回答するパターンです。
この「どう?」とか「どう思う?」という質問。
実は私もエライ人からよく受けます。
そのとき私はどうするかと言うと、
必死で③「自問自答」しますね。
なぜか。
この質問は結局、「答え」ではなく、「問い」を求めるものと思うからです。
「問い」とはすなわち「思考のテーマ」あるいは「視点」ですね。
エライ人が若手をつかまえて「どう?」と訊くのは、(自分にはない)視点を求めているか、(自分が忘れかけている)テーマを思い出させてほしいということでしょう。
それに対して、①ならまだしも、②では「使えねえ~」と評価される可能性大ですね。
③でも、ありきたりな自問自答であれば「つまらねぇことしか考えてねえ奴」と思われるでしょう。
だから私もエライ人から「どう?」なんて訊かれると、「ひえー」と焦りつつ必死で「問い」を探すわけです。
私の知る限り、会社のエライ人とかコンサルや弁護士などの知的プロフェッショナルで、①や②の返しをする人はまずいません。
「よくこんな訳の分からん質問に答えられるよなあ」という状況でも、必ず③で返しています。
しかも、相手をそこそこ満足させている。
すごいな、と感心します。
スピーチも、聞いている人の「どう?」に答える行為だと思います。
特に我々が今やっているようなものは、そうですね。
聞き手が興味あるのは、「答え」ではなく「問い」。
いくら「すばらしい答え」を語っていても、「問い」自体がつまらないものであったり聞き手にとって興味のないものであれば、それは眠くなるスピーチにしかならない。
「答え」はしょせん思考の残骸でしかないし、「答え」の立派さは決して「思考」の立派さを保証するものでもないのですね。
残骸の検索だけなら「グーグル」で十分。
「考える葦」=人間は必要ない、そう思うのですね。
いかがでしょうか?
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