大和言葉

志賀直哉が、戦後、突然妙なことを言い出しました。
「日本の公用語をフランス語にしてしまおう」です。

日本語は表現ツールとしては、あまりに使いづらい。
フランス語が世界で一番洗練されている。
戦争にも負けたことだし、この際思い切ってフランス語に変えちゃおうという意見です。

さすがに同調するものは少なく、逆に「西洋に擦り寄る裏切り者!」という非難が多かったようです。

しかし志賀直哉の気持ちも分からぬでもありません。

日本語が、未発達の段階で成長が止まった言語、といのは事実だからですね。

どういうことか。
言語の基本は言うまでもなく音声会話です。
だから発達した言語になればなるほど、音のバリエーションは多いはずです。
人は赤ちゃんのとき、あー、とか、うー、とかいうような音しか出せないのに、成長するにしたがって複雑な音を出せるようになるのと同じですね。

日本語の音の種類(音節の数)は現在、大体100ぐらいといわれています。
それに対して、英語は3000、中国語は1500。
しかし中国語には「発声(はっしょう)」という独特のアクセントがあり、マンダリンの場合で四声、広東語は20声だかもありますので、英語より音的表現力は高いといえます。

つまり、日本語は欧州語に比べると、何十分の一、中国語に比べるとそれ以上、音的表現力が劣るということです。

日本語の音的成長が止まってしまった一番大きな理由は、漢字の輸入にあります。
音が未成長の段階で、文字がどっと押し寄せてきた。
音を発達させている余裕はなく、ありものの音で、漢字を読み下すしかなかった。
その結果、大量の同音異義語が発生。現在も我々を大いに苦しめているわけです。
(参考文献:高島俊男「漢字と日本人」)

F大佐がよくおっしゃる「日本語は高文脈(コンテキスト)依存言語」というのも、同音異義語が非常に多いことに原因があると思います。
「かてい」といわれても、「家庭」「課程」「仮定」「下底」といろいろあるわけですから、
どの漢字なのかは文脈から判断せざるを得ない。つまり文脈依存は不可避ということです。
言葉ウイルス(カタカナ語)がはびこる理由も同じですね。
我々は音的区別をなんとか増やしたいのですね。だから同音異義語の少ないカタカナ語に惹かれてしまうのです。

スピーチでは、この日本語の音的表現力の低さに十分配慮が必要だと思います。

「漢語的表現でビシッと決めたい」
その欲望をを抑えつつ、可能なかぎり大和言葉を使う。
漢語(主に二文字の漢字熟語)を使うときは、できるだけ聞き間違えられないものを選ぶ。
やっかいな話です。

私個人としては、フランス人は嫌いじゃありませんが、そうかといって、フランス語にしちゃうというのは、やっぱり同意しかねます。
だって歴史がありますもんね。それを捨て去るるわけにはまいりません。

がんばれ日本語!

いかがでしょうか?

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