風水の音を知る

人前で話をするとき、(これでも)結構「あがり」ます。

なんとかならんもんか。
話し方マニュアルみたいな本を読むと、
自己暗示(自己催眠)の方法がよく紹介されています。
手のひらに「人」と書いて飲み込む、というのもその一種ですね。
残念ながら、あまり効果はありませんでした。
だいたい自己暗示って、相当精神力がないとマスターできない気がします。

そもそも、なぜ「あがる」のか。
結局は「少しでもよく見せたい」という思いに原因があると思います。
勉強不足なのに、勉強十分なように見せたいとか、頭の回転に自信ないのに、頭がいいと思われたいとか。
「ありのままを見てもらえばよい」。そう考えていれば、あがることはないでしょう。

「あがって」しまうと、実力すら発揮できません。
つまり結果は実力以下になるわけです。
実力以上に見せたいと欲をかいて、かえって評価を落としてしまう。
皮肉な話です。

スピーチやプレゼンなら、それでも命に別状はありません。
せいぜい給料が減るとか、昇進が遅れるとかの話です。
またチャンスもあるでしょうから、それほど気に病む必要はない。

しかし、世の中には「あがり」が死に直結する場合もあります。

たとえば戦国時代の合戦ですね。
あがって実力が発揮できないと、死ぬかもしれない。
ベストを出尽くして死ぬ、ならともかく、実力を出せないまま死ぬ、では「死んでも死に切れません」。

だから武術の世界では、いかにして「あがらないか」=「平常心を保つか」を最重要テーマにしているのですね。

何年か前のNHK大河ドラマ「武蔵」で、宮本武蔵が柳生新陰流の開祖「柳生石舟斎」に教えを乞うシーンがありました。
石舟斎(藤田まこと)は隱居の老人です。
それなのに「せっかくなので、一手お相手しよう」と立ち上がります。
武蔵には木刀を渡しますが、自分は(無刀で)手をぶらぶらさせた状態。
それで「さあ、どうぞ」と声をかける。
武蔵は驚いて「いいんですか?」と聞き返す。石舟斎は平然とうなずく。
むっとした武蔵。手加減気味に打ち込みます。
すると、あっと言う間に木刀を取り上げられてしまいます。
石舟斎は「どうしたの? 遠慮いらんから本気できてね」と木刀を返す。
今度は武蔵も本気で打ち込みます。
しかしまた、木刀を取り上られてしまう。
何度やっても同じです。
さすがの武蔵も降参せざるを得ませんでした。

うなだれる武蔵に石舟斎は言います。
「おぬし、風の音を聞いたか? 水の音は聞こえたか?」と。

石舟斎(柳生新陰流)の極意「風水の音を知ること」ですね。
柳生宗矩の「兵法家伝書」にも出ています。

斬り合いの最中「風や水の音を聞く」とはどういうことか?
「平常心を失った状態」とは、何らかの思いに囚われた状態です。
武蔵の場合は、勝ちたいとか、打ちたいとかの思いですね。
そういう状態では、せっかく五感で得られた情報も、頭を素通りするだけになってしまう。
入力情報が活かされなければ正しい判断など下せるはずもない。
だから風や水の音に意識的に耳を傾けることで、意識の凝りを解きほぐしなさい。
ということだと思います。

これはスピーチのときも使えるのではないかと思います。

演壇に上がる。
まわりをゆっくり見渡す、観客の話し声や空調の音、会場のにおい、温度、とにかく五感から入ってくる情報に意識を傾ける。
そうすることで「少しでもよく見せたい」とか「恥をかきたくない」というような思いから解放されていく。

いかがでしょうか?

コメント

匿名 さんのコメント…
お世話になります。
風や水を聞く、、今日から精進します!

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