監修・渡部昇一「国民の修身」産経新聞出版2012
戦前の修身教科書を抜粋したものです。かなり売れた本です。小学1年から3年までの修身教科書から著名なエピソードをピックアップしたものです。
戦前と戦後の学校教育で一番大きく変わったのは「修身」がなくなったことです。
GHQは敗戦国日本に対して「修身」「日本史」「日本地理」の授業を停止させましたが、これはポツダム宣言違反、国際法違反にあたるそうです。
その後、他の教科は復活しましたが「修身」はダメ。これはGHQというよりも教師の左傾化が原因だったともいわれます。
しかし「修身」不在の弊害が認識され、1950年に「道徳」という形で中途半端に復活しました。教科書はしょうもない内容が多かった気がします。わたしがこどものころは、まだ修身の発想が残っていたのか、先生はあまり教科書は使わず、別のエピソードを話してくれていた気がします。
修身というのは、四書五経のひとつ「大学」の段階的な人格形成の教え、修身、斉家、治国、平天下、の初歩部分、すなわち個人レベルでの人格陶冶に関する教えを表す言葉です。
徳川幕府が論語などの儒教教育を奨励したのには、身分制度や主従関係を定着させて政権への挑戦を防ぐという生臭い目的もあったわけですが、結果的にそれが世界的に類を見ない長期的な平和と、幕末の列強のアジア進出という危機にも日本を侵略から守りきる原動力になったわけです。
明治になって、日本にも欧米の文物や考え方が多数流入しました。
そういう変革期には、波に乗って大儲けするやつと、没落したり浮かび上がれなくなって困窮するやつがいたりと、要するに経済格差が増大します。
そんな時代、教育も欲得に流され「いますぐ儲かる系の話」が中心になって、人格教育はないがしろにされました。
それを憂慮した政府が発行したのが「教育勅語」、そして「修身」をそれに沿って行う教育とあららめて位置付けたわけです。その後「国定教科書」(修身)も発行されました。
修身の教科書には、「偉人のエピソード」がたくさん収録されています。
われわれが子供のころは、学校でもそういうことを話てくれる先生がたくさんいましたし、図書館にいくと「伝記物」がたくさんありました。
なので 「偉人エピソード」の多くが国民全体に共有されていた気がします。
個人主義とか自由主義とかいう流れのなか、現在の学校では、そういうものがあんまり教えられなくなったようです。いまの若い人に尊敬するひとを聞くと「親」と答えるひとが多いといいますがそれはそもそも「偉人エピソード」をまったく知らんからではないかと思います。
・木口小平(日清戦争で戦死した軍人)、戦死してもラッパを手放さずの話。(小1)
・松平信綱(家光の側近、大名に出世)、将軍の屏風を破ったが隠さず白状し、逆に正直さと潔さを褒められる話。(小2)
・広瀬武夫(日露戦争で戦死した海軍軍人、ロシア駐在武官)、
→ 部下の杉野兵曹長を救出するため脱出が遅れ、結局落命する話(小2)
→どっかの子供とした「ロシアの郵便切手を持ち帰る」という約束を律儀に果たす話(小2)
・谷村計介(官軍の伍長)、敵軍に包囲された熊本城を単身脱出、苦労の末、味方司令部に到着、任務を果たした。(小3)
・二宮金次郎(江戸末期の農政家)、14歳で父を失い、家計を助けるため働くが16歳で母も失い、強欲なオジに預けられる。向学心が強かったものお、油がもったいないという理由からオジに夜間勉強をやめさせられてしまう。それでも諦めず、自分で油菜を栽培して油代を稼ぎ勉強を続け、20歳で実家に復帰。その後、小田原藩の農政に携わり大出世。(小3)
・本居宣長(江戸中期の学者、古事記の研究)、どんなものでもきちんと整理整頓する話。(小3)
・上杉鷹山、師の細井平洲をわざわざ出迎えに行く話。
・春日局(家光の乳母)、夜間外出から門限を過ぎていると門番に止められた話。
・松平好房、行儀が良かった話。「孝子」とたたえられる。
・木村重成(豊臣秀頼の家臣)
→ 家康のところに文を取りに行き、堂々とわりたった話。
→城中で掃除坊主にケンカをふっかけられたが、まったく取り合わなかった話。
・毛利吉就の妻、火事に落ち着いて対応した話。
・徳川光圀、紙すき女の苦労を見せて、奥の女中が紙を無駄にしていることを戒めた話。
・鈴木今右衛門(江戸中期の元武家奉公人、慈善家)、飢饉に際して、田地田畑、家財道具まで処分して難民救済にあたった。
・永田佐吉(江戸中期、美濃の商人)、同僚の讒言により奉公先を追われるが、主人の恩を忘れず、元主人が没落後も終生見舞いを続けた。
・貝原益軒(江戸時代の儒学者、養生訓の著者)、
→ 留守番の若者が、益軒が大事に育てていた牡丹の花を追ってしまうが、「自分が牡丹を育てていたのは、楽しむためで、怒るためではない」とさらり許す話。
→子供のころ体が弱かったが養生方法の研究などして健康を維持し、大成した話。
・中江藤樹の弟子の馬子、飛脚が落とした大金を親切に届けてやった話。
・毛利元就、隆元(子供が輝元)・元春・隆景の三人息子に共同の精神を教えた話。
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