ジョルジュ・ミノワ「悪魔の文化史」訳:平野隆文 白水社文庫クセジュ2004

日本の「鬼」を「デビル(悪魔)」と訳していることが多いですが、この二つは全く違います。
鬼は基本的に人間の成れの果て。内在する悪が善の部分を完全に駆逐して、悪の化身になったものです。
これに対して悪魔は人間ではない。むしろ神様以上のパワーを持った概念、存在です。これは宗教的説明システムの一部として成立し、特に新約聖書以降のキリスト教でものすごく発展したわけです。なんでかというと、(一神教の世界観)全知全能の神が世界を創造して今も維持しているはずなのに、世界の現実はとても悲惨で不幸。そのギャップを説明するのに不可欠だったからです。
悪魔が特に流行したのが「魔女裁判の時代」です。
民衆が自分たちの不幸の責任を悪魔に転嫁したわけですね。
特に農村部でたくさん犠牲者が出ました。ジャンヌダルクも魔女という名目で処刑されています。
そのうちさすがに民衆も冷静さを取り戻し死刑はあまりやらなくなった。
エクソシスト(悪魔祓い)になんか儀式やってもらって、ケロッと治りました、みたいのでも良しになってきた。
そうなると今度は悪魔を悪用する連中が出てきます。
よくあるのが、戒律を破って付き合っている僧侶と尼女みたいの。
現場を見つけられたときに「あれは悪魔の仕業だ。正気を失っていたから私の罪ではない」みたいな言い訳をするわけですね。それでますますみんなの悪魔熱は冷めたのだと。
かなりマニアックな本ですが、勉強になりました。


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